HUDDLE TWO OFFICIAL WEB.STORY01.02.03.

01. Roots as
Kenjiro Iwasaki

大阪の十三という場所が私の原点。梅田にほど近い下町で、夜は歓楽街という賑やかな町の、ケーキ屋の次男として生まれました。町の人は“だいたい知り合い”という小さな世界の中、生まれつき身体が大きかった私は、いわゆる “平和主義なガキ大将”みたいな存在(笑)。小6で身長173cm、体重が73kg あり、そこらの大人よりも大きくて力も強い。喧嘩している人がいれば、それが大人であろうと仲裁にいくような小学生でした。

卒業まで残り3ヶ月というタイミングで、両親の出店の関係により奈良に転校。登校初日には「サイズ感の違う、圧倒的にでっかいやつが来たぞ!」と、全学年を巻き込む大騒動に(笑)。改めて、体格の大きさや運動神経の良さを自覚すると同時に、環境が変われば周りの反応も変わり、見える世界もガラリと変わるという不思議な体験をしました。

中学ではバスケ部に入り、スポーツの面白さに本格的に目覚めました。中3の時、兄がやっていたアメリカンフットボールでの体育推薦を勧められ、アメフトの世界へ。
入学した大阪の高校は全国大会常連校、その後は立命館大学の経済学部に入学。何度も日本一になることを経験しました。素敵なチームメイトも多く、恵まれた環境の中、この世界で切磋琢磨しながら学んだことは「選手にはそれぞれ役割があり、専門性を発揮することがチームの勝利につながる」ということ。大学のアメフトチームには常時150人以上の部員が在籍、試合に出られる人数は限られています。試合に出る選手はチームを代表してプレイしますが、試合にでないメンバーも、みんな勝つために戦っている。トレーナー陣や分析メンバー、コーチなど様々な分野のプロフェッショナルたちが支えていて、それぞれが緻密な戦術のもと勝利というゴールを目指して全力を注いでいる。関わる全ての人たちがそれぞれの役割を全うし1つになれると、チームはどんどん強くなる、そう肌で感じました。

02. Roots as
a Base partner

「こうあるべき」のコンサルティングでは救えない。
相手を変えるのではなく、自分に何ができるかを問う。

大学4年の時、商品力ではなく信頼関係で任されるような仕事、大きな金額を扱う仕事がしたいと考え、積水ハウス(株)に就職。4年半ほど、個人・法人に対して賃貸住宅の建築を企画・提案する、不動産経営コンサルティング業務に従事。不動産投資での資産運用や相続についても学びました。地主さん、税理士、不動産屋、銀行など色々なネットワークを築きながら、1億を超えるような案件にも携わりました。

2009年、ケーキ職人の兄が家業を継ぐことになり、経営者として支えるべく実家に戻りました。大企業から移り感じたのは、中小企業には全く異なる課題が存在するのだということ。資金も人材も経営について学ぶ時間もない。日々、リアルな決算書とにらめっこしながら、経営に関わる「ヒト、モノ、カネ」についてがむしゃらに学びました。理論だけでなく、MBA 取得者たちの勉強会にも参加し、事例のケーススタディを通して学びを深めたり、現実的な問題解決スキルも身につけていきました。でも学んだ理論もスキルも、兄には全く通じなかった。「これが最適解なのに、何故わかってくれないのか」。兄弟だからこそ言葉を選ばないぶつかりあいで、お互いに苦しい時期でしたね。そうしていくうちに「こうあるべき」というテンプレートに当てはめても成果は得られない、と気づいたんです。そこでまず私がしたのは「聞く」ということ。
兄がケーキ職人になった理由など、色々な想いとともに見えてくる「過去」「現在」「未来」を整理しながら、これまで曖昧だった感情を明確にし、店に関わる仲間と共有していきました。目的が明確になると目標に向けての戦略や行動も明確になる。自然と成果に向かって、各々が自分には何ができるのか考え出す。兄も想いを共有できたことで、次のステップに確信を持って挑めるようになったようです。この相乗効果によってビジネスは軌道に乗り、その後順調に拡大できました。この2年間のリアルな苦しい成功体験が、私のベースパートナーとしての原点です。

美味しいケーキを作れば、店は繁盛する。素晴らしい経営理念なら、ビジネスは成功する。そんな単純な話ではないと感じました。でもだから、ビジネスの世界は面白い。経営はアメフトと似ています。不利な状況にあろうとも、事実やデータを分析し独自の強みを打ち出すことで、戦略的に仕掛けることができる。想いの言語化、目標の明確化などにより、会社というチームはより強くなれる。そして見過ごされがちですが「現在」「未来」だけでなく「過去」を理解することも、成果を創る上で重要だということ。積み重ねてきた土台=ベースとはその人の軸であり、人生そのもの。ベースを自覚することで、次へのステップを力強く踏みこめるようになるのだと分かったのです。

兄のビジネスが成功した時、私は、自分一人で何かを成功させたときとは明らかに違う、湧き上がるような喜びを感じました。成果を共有しているような、自分が勝利したチームの一員であるような誇らしく嬉しい気持ち。関わることで誰かの人生が豊かになったり、ビジネスが成功して、そのうえ自分も輝けるなんて、これこそが私の天職、生涯をかけてやり遂げるべき仕事だと起業を決意しました。

03. About
to HUDDLE TWO

とはいえ、ライフプランの実現に資産運用や保障を無視した提案は現実的ではないと思い、数年後の起業を見据え2011年10月 1日にソニー生命に入社。営業として保険だけでなく幅広い知識と経験を積む中、会社の枠を超えてビジネスマッチングや課題解決などの仕事も経験しました。様々なジャンルの富裕層、資産家とのネットワークも増え、課題や悩み、運用などについて学ばせてもらった沢山のことは、今も私の力になっています。

そして2020年、念願叶って「ハドルツー」を立ち上げました。最初からお話ししているように、私がするのは話を聞き、色々な角度から質問をしていくこと。本人とは異なる視点から物事を見れるように、様々な角度から課題へのアプローチ方法を探っていく中で『その角度の質問はこれまで思いつかなかった。ありがとう』と言ってもらえることも多いです。

ベースパートナーとして関わる中で、私はゴールを決めません。それはゴール設計よりスタート地点=ベースの見直しの方が大事だと思うから。会社も人も新しいフェーズへと向かうとき、このまま進んでいいのかと迷い立ち止まる気持ちがあると思いますが、それはベースへの不安が何かしら隠れているから。不安定なベースでは思い切り踏み込めないし、無理に進めてもどこかでバランスが崩れる。それを経営者の方々は本能的に分かっていると感じます。そして社員想いの経営者の方ほど「会社の成長のため」「社員の成長のため」と、ご自分のライフをないがしろにしているケースもよく目にします。しかし事業を長く継続させるためには、ビジネスもプライベートもその人の大事なベースで無視できない要素。その人自身がどうありたいか、どうあれば幸せなのか、ワークライフバランスを整えていくこともあります。

「ハドルツー」という社名は、今の私のベースとなっているアメフトからもらいました。アメフトでは「作戦会議するぞ、みんな集まれ!」という時、「ハドル!!」「トゥー!」って掛け声をかけるんです。励ましたり、仲間を奮い立たせるときに使うこともあります。この社名は「ここから土台を固めていくぞ!チームとなって人生を豊かにしていくぞ!」という私なりの覚悟。経営者が信頼して任せたい、何十年も付き合いたいと思える本当のパートナーになっていきたい。本気でそう思っています。

THANK YOU.